創設の趣旨とあゆみ
井高野は寛永年間(約400年前)には「居鷹村」といわれ、鷹が多く住んでいたと伝承されています。群制時代は西成郡大道村の飛地で北大道井高野といわれていたが、昭和26年10月20日大阪市告示により「井高野」と改称されました。
昭和28年頃まではほとんどが田畑であり、のどかな純農村風景を呈していましたが、日本経済の高度成長政策の兆しの傾向を背景に一気に成長経済の波に乗り、次から次へと農地の買収、宅地化が余儀なくされ、かつての専業農家が兼業農家へ、そして離農へと激動する。
そんな中、吉田浩治(元会長)は時代の変遷とその要請に鑑み大都市周辺農家に課せられた課題は何か、私たちの先祖が辛苦の末残してくれた遺産(農地)を廃棄同然の姿を見て先代の遺産を如何に高度に活用して社会に寄与するか、精神的、経済的に将来又環境の保全にも思いを致し健全円満なる永遠の発展を遂げ共に手を携えて周辺農家の共存共栄の道を求めての創設が目的でありました。
昭和20年代の写真
現在のパッティンググリーンから南南東に向かって撮影
昭和47年頃の写真
敷地の南東隅から北に向かって撮影
井高野ゴルフセンター開場
昭和48年9月1日
総面積30,000㎡ 総合ゴルフ練習場・井高野ゴルフセンターを開場
◆施設概要
- 180打席(1フロア60打席3階建て)
- 230ヤード打ち放し(高麗芝張)
- 1階、2階打席 自動ティアップマシン設置(下から次から次へとボールが上がってくる)
- 練習しながらホールイン・ワンを楽しめる練習場(100ヤードと150ヤード地点に特別のグリーンを設け、サービスボールでホールイン・ワンが楽しめるように施工
- ネット外周に18ホールのパターコース500ヤード(起伏のグリーン・実戦向き仕様)
- パッティンググリーン(正確にストロークが出来る平面グリーン)
- バンカー(深いバンカーから浅いバンカーまで)
- 貸ロッカー(スチール製)
- レストラン(喫茶とお食事、洒落たムードのレストラン)
- 無料駐車場(200台)
- ゴルフレッスン(寺本金一プロ・読売CC)、(今田慶之助プロ・東城陽GC)
以上を持って開場
開場3年前は千里丘陵での世界万国博覧会が開催され、その後の日本経済は破竹の勢いで、物価は朝と夕で単価が違う有様、使い捨てが美徳といわれた位インフレの時代でした。
ボーリング、バッティング、ゴルフ、他スポーツも隆盛を極めていました。
当センターも幸先の良いスタートとなりましたが、この年の12月中近東から発せられた世界的なオイルショックが襲ってきました。日本は勿論のこと世界中の経済が衰退しゴルフブームは去り、長い不況のトンネルに入りました。
沿革
昭和48年9月1日 | 総合ゴルフ練習場・井高野ゴルフセンターを開場 |
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昭和49年 | ゴルフスクール開設、アシスタントプロ2名常駐 |
昭和50年 | 多角化としてゴルフ打席西側10打席(1F~3F)をバッティング場に改装 |
昭和50年 | ゲームセンター開設 |
昭和51年 | オートテニス5打席開設 |
昭和51年 | ボール自動貸し出し機15台設置 |
昭和58年 | NGFゴルフスクール開校 |
昭和61年 | 1階土打席を人工芝に変更、営業時間4:00~21:30 |
昭和61年 | 駐車場からの打席入口7か所増設(フロント精算廃止) |
昭和63年 | ゴルフスクール専用ビル建設 |
平成6年 | ゴルフスクール専用ビルからフットサルコート(ミニサッカー場)に改装 |
平成8年 | フェアウェイ完全ボール自動回収工事完了につき営業時間4:00~23:30に変更 |
平成18年 | ブリジストンゴルフスクール開校 |
平成21年 | ゴルフパートナーと組んでショップを拡充 |
平成23年 | クラブハウスとレストランを大改装(一般の方も利用可能に) |
平成24年 | ボール自動貸し出し機の現金売りからカードシステムに変更 |
平成25年 | 創業者 吉田浩治 死去 |
平成26年 | フェアウェイ投光器LED化 |
平成27年 | 駐車場投光器LED化、ベントグリーンオープン |
平成28年 | バッティングセンターリニューアル、打席・クラブハウスLED化 |
昭和51年撮影
テニスコート開設時の写真
平成6年撮影
フットサルコート改装時の写真
平成8年撮影
営業時間4:00~23:30に変更時の夜間営業の写真
井高野ゴルフセンター開場40周年
平成25年9月1日を持ちまして、満40周年を迎えることができました。
偏にお客様あってのことと厚く御礼申し上げます。
以上の様な様々な工事改善を致し、お客様にご満足頂けますよう参りましたが今後も尚一層の精進いたしたく思いますので、引き続きご愛顧の程よろしくお願い申し上げます。